第64回 D-Wind Rally 『上州史跡巡り』
コース案内(作成記)

コースレイアウト図は、こちら(PDF版)

スタート〜4CP

スタート、OD、1CP、2CP、4CPにトイレがあります。
  スタートは、上信越道・藤岡ICに隣接している、ハイウェイオアシス『ららん藤岡』
上信越道からもアクセスできる。道の駅でもある。
農産物直売所、レストランがある「アグリプラザ」、群馬が生んだ銘菓(?)グーテ・デ・ロワのガトーフェスタハラダなどの売店がある「グルメプラザ」、小さな遊園地「メルヘンプラザ」や「花の交流館」がある。


  スタート後、ODまでの距離を調整するため、藤岡市内を走るが渋滞などは無いと思う。



 『七輿山古墳』にODを置いた。
以前は古墳があるだけだったが、「七輿の門」という施設ができ、周辺の遺跡の資料が展示してある。
古墳自体は、整備されず小山の状態になっている。
すぐ近くにレトロ自販機がある「七輿ドライブイン」もある。


  『山上(やまのうえ)古墳』が1CP
古墳に隣接してある「山上碑」が「多胡碑」「金井碑」と合わせて「上野三碑(こうずけさんぴ)」と呼ばれ、2017年のユネスコの「世界記憶遺産」登録に向けた国内候補になっている。 東日本で国の特別史跡に登録されている古墳は、山上古墳だけである。


  『観音山古墳』が2CP
墳丘97mで、二重の堀をめぐら した前方後円墳。
群馬県内の有力前方後円墳のほとんどが、盗掘を受けているが、観音山古墳は全く盗掘されず、貴人を埋葬した当時の姿をそのままに保 っていた稀有な例だった。
発掘された人物埴輪の中には、一個の台上に三人の巫女が並んで座る珍しいものもある。
古墳の上からの眺めが良く、赤城山、榛名山、浅間山、妙義山を望むことができる。


  伊勢崎市のショッピング街(?)を通り抜けて、『お富士山古墳』に3CPを置いた。
前方後円墳で、墳丘の大きさは、2CPの観音山古墳より大きいが、残念ながら前方の一部が削り取られている。
古墳の上にある神社の横には、この古墳から出てきた「舟形石棺」が展示されている。 この石棺のレプリカは、千葉・佐倉にある国立歴史民俗博物館に展示されている。 本物の石棺の展示が余りにも質素なのが、何とも言えない・・・。


  『大室公園』が4CP
何度もチェックポイントを置いた古墳公園。 2CPの観音山古墳やゴールの八幡山古墳の様に古墳としての整備は余りされておらず、前二子古墳、中二子古墳、後二子古墳の3つの大型前方後円墳の他、多くの古墳が当時の様子に復元されて公園の中に点在している。 復元されたM−1号古墳は子供のそり遊び場になり、表面が大変なことになっている。
(左の写真は、公園として整備される前の二子古墳群)
4CP〜ゴール

5CP、6CP、7CP、9CP、10CP、ゴールにトイレがあります。
  5CPから赤城山南麓にある城址を巡る。
『山上(やまがみ)城址』に5CPを置いた。 
山上城は、鎌倉時代に藤原秀郷の子孫、山上五郎高綱によって築城され、戦国時代末期に武田勝頼に攻められたのち廃城となった。 城の構造は北から南へ笹郭・北郭・本丸・二の丸・三の丸・南郭と一直線に並んだ並郭式で、川や谷などの自然を要害とした丘城。
三の丸には遊具がある広い広場になっており、子供の遊び場になっている。


  5CP再スタート後、しばらく走った左手に『山上(やまがみ)多重塔』がある。
平安時代初期の延暦20年(801年)7月17日に僧・道輪によって建てられた供養塔で、国の重要文化財。塔には安楽と平和を願う45の文字が刻まれ、当時の仏教文化を知る上で大変貴重な遺産となっている。
2000年のDWR−2で立ち寄った時は、石塔の周りのガラスは無かった覚えがある。

塔は赤城山麓に立っており、北には長い裾野を広げた雄大な赤城山が望める(TOPページの背景写真参照)。 その分、赤城おろしも正面から受ける。試走時も寒かった。




  山上城跡から直線距離では1km程しか離れていない『膳城址』が6CP。
このあたりを治めていた膳氏によってつくられ、室町時代から戦国時代にかけて使われた城。 山上城と違い、本丸の周りをいくつかの郭が囲んでいる。
北郭に粕川村出土文化財管理センターが立ち、その北側に新しく膳城址公園が整備され、子供の遊具の他、大人(老人?)向けのストレッチ器具が設置されている。
滑り台に膳城が復元(?)されている。 試走時は、子供しかいなかった。老人は朝早くにいるのかな?


  『女渕城址』が7CP。 ここも膳城址から直線で2km程しか離れていない。
戦国時代に赤城山南麓にあった城の一つで、要害に広く水濠を用いた平城だが、上州では珍しい「水城」に近い形態。
その水壕をうまく使い、今はおなぶち城址公園となっている。


  『大胡城址』が8CP
藤原秀郷の子孫であり中世上野の名族であった大胡氏により築城され、徳川家康の関東入部により牧野氏が大胡領2万石に封ぜられた。その後、牧野氏が長岡へと転封された後、大胡城は前橋藩領となり、酒井氏時代には城代が置かれた。酒井氏が姫路へ転封された際、廃城となった。
本丸を二の丸が囲んでいる他には、基本的に南北に郭をならべた直線連郭式の平山城である。
CPの二の丸まで車で上がれるので楽であるが、先の3つの城跡より本丸までの道が少し険しい。 


  流れの良い第三赤城南面道路と勝手に私が呼んでいるふるさと農道で西に走り、『群馬県埋蔵文化財調査センター』に9CPを置いた。
ここは、公共開発事業に伴う埋蔵文化財の調査と研究を行う公益財団で、埋蔵文化財調査センターで発掘された文化財の情報発信を行っている。
2012年11月に金井東裏遺跡で見つかった『甲を着た古墳人』のレプリカも展示されている。 また、八ッ場ダム建設に伴う発掘調査の状況の展示もある。
土曜日が休館のため、館内にクイズは置かなかったが、それ程大きな展示室では無いので、是非時間を取って見学してください。 土曜日、祝日が休館。開館時間は9:00〜17:00。


  利根川沿いの通称・国体道路を通り、利根川の「川向う」(前橋の人はこう呼びます)に渡り、『宝塔山古墳』に10CPを置いた。
一辺の長さ約55m、墳丘高11mの規模を誇る方墳で、方墳としては全国的に見ても大きい規模を誇る。
ここは、石室が公開されており、家形石棺がある玄室まで入って行け、見事な石積みを見る事ができる。


  ゴールは、『八幡塚古墳』。 近くにかみつけの里博物館がある。
国指定史跡保渡田古墳群(二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳)の1つで、墳丘の全長は96mで、周堀まで復元されている。 墳丘の斜面には葺石が葺かれ、内堀に4つの中島があるのがこの古墳の特徴。
また、埴輪の数も約6000と推測されている。
後円部にある石室は展示室化され、墳丘の上から階段で入る様になっていて、舟形石棺のレプリカが置かれている。
ちなみに、復元工事を請け負ったのは衆議院議員・佐田玄一郎の佐田建設である。
お土産&お食事処情報 スタートの『ららん藤岡』の「観光物産館」に、DWR54で紹介した≪気味の悪いチョコレート≫の『かいこの王国』と、その新製品の『かいこの一生』が売っています。 かいこの形をしたチョコレートは気味が悪いほどリアルでしたが、『一生』の方の成虫(蛾)の出来栄えは・・・。

6CPの少し手前、28図内にある『後閑養鶏園』の売店で、「昔ながらの味の地鶏卵」や「プリン」が買える。 特になめらかプリンはオススメ!
ここは、テレビ東京の番組で元モー娘。メンバーの保田圭と石川梨華が訪ねて、卵かけご飯を食べた所。 店内にその時の写真が貼ってある。 お店のおばさんもその時以来なのか、しっかりメイクをした顔で出てくる(笑)



時間的にかなり遅い昼食になってしまうが、コマ図44図にある『大村うどんそば店 総社町店』のソースかつ丼はオススメ。
前橋名物の豚肉を使った料理で競う、T−1グランプリの初代チャンピオンで、その後も常に最終選考まで残っている。
営業時間は、11:00〜15:00と17:00〜20:00 水曜日と第3火曜日が定休日。