第62回 D-Wind Rally  『鉄道遺構を訪ねて 二十里半
コース案内(作成記)

コースレイアウト図は、こちら(PDF版)
最初に・・・ 群馬県の吾妻地区には、軽井沢から草津温泉を結んでいた草軽電鉄や、吾妻線長野原草津口駅から分岐していた日本鋼管群馬鉄山専用線(後の国鉄・太子線)などの廃線跡が残っていて、廃線マニアのblogなどで散策の記事を見かけるが、今回、コース作成のきっかけになったのが、その存在を地元の人しか知らない廃線(厳密に言うと未成線)の『上信鉱業専用軽便線』の存在を知った事。 元ネタは、こちらです。 
それらの廃線跡を巡ってみたいと思います。  元ネタのページも是非一読ください。

スタート〜6CP

スタート、2CP、4CPにトイレがあります。
  スタートは、JR軽井沢駅・北口。 最寄りのICは「碓氷軽井沢IC」になるが、東京方面から来る方は、是非「松井田妙義IC」で降りて、国道18号線の旧道をめがね橋などの信越旧線の鉄道遺構を楽しみながらお越しください。 松井田妙義ICからは約20kmで40分チョットで軽井沢駅に着きます。
軽井沢駅・北口の駐車場は30分間は無料ですので、そこに車を停めてクイズを解き、出発の準備を行ってください。

  『軽井沢駅』
北陸新幹線の開通で信越線が分断され、しなの鉄道の始発駅になった。
1962年(昭和37年)に廃止になった『草軽電鉄』の始発駅「新軽井沢駅」は、コマ図1図の信号のある十字路の先にあったが、現在は駅の跡は全く残っていない。
「かぶとむし」の愛称で親しまれたデキ12形機関車が「旧軽井沢駅舎記念館」の横に保存されている。



  『草軽電鉄路線跡』
旧軽井沢銀座の十字路を過ぎた先から、カラマツ並木が始まるが、その左側(今回のコースで走る側)が草軽電鉄の路面跡である。 右側の道路より一段高くなっている。
その後、2図で左手の方へカーブしていく。2図左手の先は残念ながら別荘地敷地内になってしまい、部外者は立ち入る事が出来ず、路面跡をトレースすることは出来ない。




  『草軽電鉄・小瀬温泉駅跡』
OD辺りに「小瀬温泉駅」があったらしい。草軽電鉄はその後、「白糸ハイランドウェイ」沿いに進んで行き、その後「国境平」方面に上って行く。途中まで林道になっているが、残念ながら車では入れない。


  『小瀬林道』
小瀬温泉駅から先は草軽電鉄跡を辿れないので、小瀬林道で国道146号線にでる。 この林道、全線ダートである。それも渓流沿いに下って行く良質のダート! こんな観光地に近い所にこんな良い雰囲気のダートがあるなんて!
試走時も対向車にもオフローダにも合わなかった。 ただ、散策路になっている様なので、ハイカーには注意(試走時には出会わなかったが)
ダートを出た所に1CPを置いた。


  国道146号線での長いリエゾン区間で北軽井沢に向かう。

  『草軽電鉄・北軽井沢駅跡』が2CP。
草軽電鉄で唯一残っている駅舎がここ。 草軽電鉄は、小瀬温泉から二度上峠の手前まで上り、県道54号線沿いに下ってきて、北軽井沢駅に入ってくる。
駅舎は、2006年(平成17年)に改修工事が行われたが、ここは法政大学が建てて寄贈した駅で、他の駅より元々造りがしっかりしていたのだろう。 ホームも改修で復元され、デキ12形機関車も停まっている。 残念ながら全て木製の復元だが・・・。
隣接する「北軽井沢ふるさと館」には、草軽電鉄にまつわる物が展示されている。 スタートの「旧軽井沢駅舎記念館」にも展示されているが、そちらは有料(200円)だが、こちらは太っ腹の無料!(笑)
草軽電鉄はこの後国道146号線沿いに北上し、長野原町応桑から県道241号線沿いに嬬恋村に下って行く。 コースでも後程合流する。


  『軽井沢モーターパーク』の前に3CPを置いた。
モトクロス場である。
1955年11月5日に北軽井沢で日本最初の本格的ロードレース『第1回浅間高原レース(全日本オートバイ耐久ロードレース)』
開催された。 コースは公道をクローズドしたもので、勿論当時はダートである。そういう意味で、北軽井沢はモトクロスの発祥の地になる。





  3CPの先で突然キャベツ畑が広がる。 もうここは「(北)軽井沢」ではなく、「嬬恋」何だと言う事をその匂いと共に教えてくれる(笑)






  『JR吾妻線・大前駅』に4CPを置いた。
JR吾妻線の終着駅で、嬬恋村役場など村の中心地への最寄駅だが、吾妻線を走る新特急「草津」は1つ手前の万座鹿沢口駅止まりで、普通電車も半数が大前まで来ない。 運転本数が非常に少ないので、1面1線のホームしかない超ローカル駅である。
試走時、一日5本しかない電車が丁度出て行くところであった。 遠くから見た限り乗客はいなかった様な気がする。


  コースは、鬼押しハイウェイから北軽井沢の別荘地とキャベツ畑を通り、県道241号線に合流する。 途中に5CPを置いた。


  『草軽電鉄路線跡』
18図から県道241号線を走るが、これが草軽電鉄の路線跡である。 
嬬恋駅に入る手前で大きく左に廻り込むが、その地点に草軽電鉄の遺構である橋台が残っている。
川の流れが変わってしまい、本当に橋台?って言う場所にある。
何らかの説明板があるかと思ったが、何も無かった・・・。





  『草軽電鉄・嬬恋駅跡』が6CP。
今はこんな所に駅があったのかと思う様な雰囲気だが、当時は草津へ向かう温泉客だけでなく、硫黄の積み出し駅として栄えていた様だ。当時の名残りと思われる温泉旅館が2軒並んで今も営業している。
嬬恋村には、「グンマー帝国」の地の果てと言われている、長野県境にある『毛無峠』の群馬側にあった小串鉱山など4つの硫黄鉱山があった。
コマ図14図にある「嬬恋郷土資料館」で企画展「消えた硫黄鉱山」が10月25日まで開かれている。興味のある方はご覧ください。
6CP〜ゴール

9CPにトイレがあります。
  6CPでUターンして、その後は『上信鉱業専用軽便線遺構』を巡る。

軽井沢駅から、北軽井沢、嬬恋と断続的に辿って来た草軽電鉄や、終盤辿る日本鋼管群馬鉄山専用線(後の国鉄・太子線)は、その存在を知られていて、廃線マニアのblogなどで散策の記事を見かける。
今回、コース作成のきっかけになったのが、その存在を地元の人しか知らない廃線(厳密に言うと未成線)の『上信鉱業専用軽便線』の存在を知った事。
日本鋼管(株)専用線(太子線)は草津鉱山の鉄鉱石を運ぶために造られた鉄道で、草軽電鉄は嬬恋鉱山の硫黄を運んでいた。 上信鉱業専用軽便線は、上信鉱山のアルミの原材料を運ぶために太平洋戦争中に突貫工事が進められた鉄道である。
戦争下の日本に於いては、非常に重要な鉄道たちであった。


コマ図20図の橋(出合橋)の上から左手を見ると、水道管橋の向こう側に小さな橋台が見える。『上信鉱業専用軽便線』の終着駅嬬恋駅に入る手前に出来る筈だった橋の橋台である。 川沿いの小路を進むとすぐ近くまで行くことができる。
更に20図先の右に登って行く道から入ると、今でも貫通している隧道跡が眠っている。コースに取り入れたかったが車を停める場所が無く、またこの季節完全に薮に埋没してしまいその姿を確認する事が出来なかった・・・。


7CP横にある橋脚は、その姿を眺める事が出来る。

また、23図手前には、かなりの高さを誇る橋脚が残っているのだが、ここもやはり薮に埋もれて近づけなかったのパスした。






  国道145号線のバイパスから少し外れた場所に8CPを置いた。
  『防空監視硝跡』
鉄道遺構ではないが、戦時中の珍しい遺構が残っている。クイズにしているため詳しく書けないので、現地で説明板を見て欲しい。



  当初プランでは、JR長野原草津口駅近くまで国道145号線旧道を走り、白砂川右岸沿いを走る日本鋼管群馬鉄山専用線(太子線)跡を走る予定であったが、やはり通行出来なかった。 長野原草津口駅を出てすぐに白砂川を渡る橋脚が当時のまま残っているのだが・・・。ここは、薮が無くなり橋脚が良く見える時期に紹介したい。


  プランを変更して、林道・大津吹久保線で日本鋼管群馬鉄山専用線(太子線)跡の通行止め区間の先に廻る事にする。


  『日本鋼管群馬鉄山専用線(太子線)跡』
コマ図25図の入口、右手から合流してくるのが線路跡である。ここから少し長野原草津口方面に戻った隧道に、『落石の恐れのため、当分の間通行止め』の小さな看板があった。 
9CPを置いた「太子駅」の整備が進んでいて、長野原草津口側の通行止めも擁壁工事のためだったので、もしかすると先々遊歩道として整備されるのかも・・・?
線路跡は、2連の隧道を抜けて、白砂川沿いに上り、終着駅の太子駅に着く。



  『日本鋼管群馬鉄山専用線(太子線)・太子駅跡』が9CP。
ここは、2010年のDWR44でCPを置いた。その時は草が茂り鉄鉱石を積みだしていたホッパーも半分以上草に覆われていて、ホッパー内部も崩れた石がそのままであったが、現在県の事業で整備が進められていて、ホッパーの全景(実際は1階部分しか残っていないが)を初めて見る事ができた。 国道292号線沿いに駐車スペースを作って、そこからアプローチできるように遊歩道も整備している。 隠れた遺構だったのに多数の人が訪れる様になるのはチョット複雑な気持ち・・・。


  『林道・小雨線』を通り、草津温泉に向かう。
ここは、2004年のDWR31、2010年のDWR44で走ったが、2002年の第20回日本アルペンラリーでSSが置かれた林道。
5年ぶりに走ったが、路面の痛みがひどくなった様な気がする。SSも置かれるほど良い道だったのだが・・・。


  『草軽電鉄・草津温泉駅跡』
コマ図27図のドン付きの道が草軽電鉄の線路跡である。
嬬恋駅を出た草軽電鉄は、県道59号線沿いに登って来て、27図の左手から草津温泉に入ってくる。
ゴールは、草津温泉駅跡の碑がある「浅間台公園(南本町児童公園)」。
石碑以外草軽電鉄の当時を偲ぶものは何も残っていない。
試走時は草に埋もれていたが、石碑の土台部分と地面の間にレールが少し顔を出している。



ゴール近くには、「日独ロマンチック街道資料館」、「ベルツ記念館」、「ベースボールスター博物館」と見所一杯の『道の駅・草津運動茶屋公園』があり、沢山の車が停まり賑わっている。 辿って来た各路線が廃線に追い込まれたのも、世の流れで仕方ないか・・・。  我々の趣味も車でのドライブだし(笑)