第52回 D-Wind Rally  『八重さんの旦那さんとちからもち
コース案内(作成記)

コースレイアウト図は、こちら(PDF版)
最初に・・・ 開催要領の1.内容の通り、群馬県民なら誰もが空で言える『上毛かるた』に詠まれた場所を紹介していくシリーズの3回目です。

DWR50、51でも紹介した札・・・

【つる舞う形の群馬県】




 今回は、鶴の右の翼の根っこ辺り=安中市内の『上毛かるた』の【へ】【う】【な】と鉄道遺産を訪ねます。
スタート〜3CP

スタート、OD、1CPにトイレがあります。
  スタートは、JR信越線の『西松井田駅』。 近くに旧松井田町役場(現安中市役所松井田支所)があり、松井田町の中心駅なのだが、橋上駅で何の変哲もない駅舎の寂れた駅である。
だが、元々はここが『松井田駅』であった。 当時は、スイッチバック駅で、駅前から安中方面に延びる道がスイッチバックの引き込み線で、その先(旧松井田町役場の先の松井田東中学校辺り)に駅があった。駅の反対側の横川方面に延びる道も引き込み線であった。この線に入った後、バックで駅に入っていた。 残念ながら当時の面影や遺構は全く残っていない。スイッチバック当時の写真はこちら

  安中市内には中山道の宿場町が4つある。松井田もその1つで、スタート後2図までの間少しその名残りの街並みを走る。この道は国道18号線旧道でもある。

ODは、『磯部駅』。 雀のお宿で有名な磯部温泉の最寄駅だが、驚くほど駅前は狭い。温泉街までは歩いて行けるので、それ程大きな駅前は要らないのかも・・・。 そう言えば有馬温泉駅の駅前はもっと狭かった。

  4図から国道18号線の旧道を走る。 途中、中山道の杉並木が残っている『原市の杉並木』を通る。杉の木は歴史を感じる大きさであるが、行く度に本数が減っている様に思う・・・。 
【中仙道しのぶ 安中杉並木】

  1CPは、2008年DWR38の時と同じ『安政遠足の碑』の前に置いた。 安中は中山道の宿場町でもあり、城下町でもあった。 安中氏により築城され、徳川家康が関東の地に入封した際、井伊家が安中城主となった。 

  今年の大河ドラマの主役・八重が再婚した新島襄は、安中藩下級武士の子供であるが、生まれたのは江戸で、新島家が住居を安中に移すのは維新後である。密航で渡米し牧師となった襄が、帰国後家族の元に戻り(その時3週間滞在した)、安中滞在中に日本で初めて宣教をしたのが襄と安中の最初の接点ではないかと思う。 今は、大河ドラマにあやかり(?)、「新島襄・八重子展」が開催され「新島襄ヒストリート」と名付けた街歩きコースも設定されている。
ボーナスクイズを設定したので、是非街歩きを楽しんでください。 「新島襄ヒストリート」のパンフレットにはお土産も紹介されているので、是非。 餡が中に入ったその名も「あん中さま」もあります(笑)

『上毛かるた』にも、【平和の使徒(つかい) 新島襄】と詠まれ、群馬が生んだ偉人とされているが、上記の通り安中にはほとんど滞在していない。 八重さんも安中には4回(内2回は襄の没後)しか来たことがない。  東京生まれ東京育ちで、戦時中群馬県に疎開していただけなのに、群馬が生んだ4人の総理大臣の1人に数えられる第91代総理大臣よりマシか!?(笑)
3CP〜7CP

5CP、6CP、7CPにトイレがあります。
  当初プランでは3CP(12図)から直進し、、2002年のDWR22で走った、分断された県道125号線をつなぐ道(林道長源寺線)を走るつもりだったが、残念ながら『関係者以外立入禁止』。
まずまずの路面のダートが2km弱ある道だった(と言う事は、立ち入ってしまったと言う事です・・・m(_~_)m)。

  林道が通れなかったので、広域農道と県道でスタートの西松井田駅方面に戻る。 途中に置いた4CPのすぐ側には遊具が一杯ある「ちびっこ広場」があるが、ここで遊ぶ子供の姿は見られるのかな・・・?

  国道18号を走り松井田妙義ICの下を潜って、妙義湖に向かう。 
裏妙義にある妙義湖は、上水道用水源として中木ダムにより造られた人造湖。おしどりの越冬地としても有名。5CPを置いた。

  中木ダムから更に奥に進むと国民宿舎「裏妙義」がある。その先は、妙義荒船林道・中之岳林道につながっているが、現在は通行止めになっている。 イプサムで一度だけ通り抜けた事があるが、途中かなりガレていた覚えがある。

  林道で再び4CP方面に戻り、九十九川沿いの道を走り、2000年のDWR3の時にCPを置いた仙ヶ滝を久しぶりに訪れ、6CPを置いた。 仙ヶ滝は、松井田町の山中を水源とする九十九川の上流にある滝で、松井田城落城の際、城主の娘「お仙」が身を投じたという伝説から名付けられた。 以前は滝の裏側からも滝を見る事が出来たが今は近づけなくなっている。紅葉のシーズンや滝の裏側に飛沫が凍り「氷筍(ひょうじゅん)」が出来る冬も見頃らしいが、新緑の季節から夏にかけても涼しさを味わえる。

  小根山森林公園をぐるっと廻り込み、碓氷関所跡を通り、碓氷峠鉄道文化むらに7CPを置いた。

 碓井峠の 関所跡と上毛かるたに詠まれる碓氷関所跡は、江戸時代に“入鉄砲に出女”を取り締まるために設けられた中山道の関所。 当時の門の柱と扉、屋根材の一部などを使用して関所の東門が復元されている。
碓氷峠鉄道文化むらは、信越本線横川駅-軽井沢駅間の廃止と共に役目を終えた横川運転区跡地に造られた体験型鉄道テーマパーク。 碓氷峠の歴史や資料、碓氷峠で活躍した鉄道車両などが展示・公開されている。 また、廃線跡を利用してEF63形電気機関車の体験運転もできる。
7CP〜FCP
8CP、FCPにトイレがあります。
  7CPからは国道18号の旧道を走る。バイパスも無料になったが、こちらもまだ国道指定のままなので、「旧道」と呼ぶのは間違いか・・・。

  坂本宿は、背後に碓氷峠を控え、前に碓氷関所があった為、宿泊や休憩に利用する人が多く、かなり大きな宿場町だった。 街道も直線で、道幅が8.1間と現在の道路とほぼ同じ広さで、中央に4尺幅の水路も配置されていたらしい。久しぶりに通ると水路が復元されていたが、残念ながら道路の真ん中ではなく、端であった。

  霧積温泉への分岐の所にある玉屋ドライブインは、ドライブインと言うよりめし屋の雰囲気。
「創業200年・碓氷峠の力餅」の看板通り、力餅の老舗(?)。 熊の平駅の廃止(信号場に降格)まで熊の平駅で力餅の駅売りをしていたらしい。 ここの力餅は美味しいです。是非立ち寄ってください。 お土産にもできます。

  玉屋ドライブインを過ぎると、アプトの道(遊歩道)として整備された信越線旧線が見えてくる。 遊歩道の整備で、廃線の周りの草などが刈られ、国道から廃線跡が良く見える様になった。  信越線旧線と言えばめがね橋だが、今回はスルーし、熊ノ平駅跡に8CPを置いた。 今回のコースで一番行きたかった場所。

 アプトの道が整備されるまででも、めがね橋やその手前の「5号トンネル」などは道路から比較的容易にアプローチできたが、熊ノ平駅は閉ざされた空間だった。
2012年3月にアプトの道が熊ノ平駅まで延長され、国道18号線沿いに駐車場も整備され、駐車場から容易にアプローチできる様になった。是非、じっくり探索して欲しい。

 廃止される前は信号場になっていたが、その前は駅だった熊ノ平駅。 しかし周りには全く民家もなく、誰がこの駅を利用していたのだろう・・・?

  実は、今回のコースのプランニングの際、DWR3の時以来、ゴールを霧積温泉にしようか迷ったが、旧碓氷峠の国境の方を選択した。 その為か、8CPから先峠を登るにつれて霧が立ち込め、ほとんど視界が効かない状況に・・・。

  33図からは長野県にお邪魔して、旧碓氷峠の国境を目指し、別荘地の中を走る。 天気のいい日は、途中浅間山が綺麗に見える筈。

  ゴールは、旧碓氷峠の国境にある熊野神社の前。 碓氷峠は、長野県側に降った雨は日本海へ、群馬県側に降った雨は太平洋へ流れる中央分水嶺である。 峠にある神社は都道府県ごとに宗教法人の登記がされることになったため、元々ひとつの神社でありながら県境を挟んで、群馬県側が熊野神社、長野県側が熊野皇大神社という別々の宗教法人となった。そのため、一つの神社だが、宮司や社務所、賽銭箱、お守り、ご祈祷は別々である。
  神社の向かいにあるしげの屋や熊野神社宮司宅の碓氷山荘で名物の力餅を食べる事が出来る。近くにはサンセットビューポイントもあるので、力餅を食べながら疲れを癒し、中山道を行き来した旅人も眺めた風景を楽しんでください。(写真は2003年DWR28の際撮影したもの)