第45回 D-Wind Rally  『アウトロー伝説を巡る−国定忠治生誕200年−
コース案内

スタート〜2CP  スタートは、佐波郡玉村町にある『玉村八幡宮』。

 ここの参道で忠治が度々賭場を開いていた。後に訪れる米岡神社付近で島村の大親分・島村伊三郎を謀殺し、飛ぶ鳥を落とす勢いの時の忠治である。
 だが、ここ玉村宿は関所破りなどの罪で捕縛された忠治が、江戸に送られる途中17日間留め置きされた場所でもある。 この時中風を患っていた忠治に、治療のために目明しの柳澤佐十郎が家鴨の生血を飲ませた。 その家鴨を供養した「家鴨塚」が国道354号を挟んだ向こう側の『称念寺』にある。


 最初の試走の時は、丁度7月の第四土日曜日に行われる「夏越しの大祓(なごしのおおはらい)」が行われる日で、随神門を挟んで参道には出店がずらっと並んでいた。
尚、八幡宮には忠治に関する説明板などは一切なかった。


 玉村には、『生ロールケーキ』が美味しい、「みよし乃製菓舗」と「福嶋屋」がある(コマ図1図参照)。 「みよし乃製菓舗」の方が評判は良い様だ。 是非味わって頂きたいが、暑い時期では、コースを走っている間に傷むか・・・。 味わいたい方は、保冷剤と保冷バックを準備してご参加下さい。 ホントに美味しいですよ。

 
 スタートから国道354号を走り、ここ数年正月の大学箱根駅伝にも名を連ねている上武大学の前を通り、国道462号を経て工業団地に入り、ODを置いた。

 1CPは、島村渡船場に置いた。 2001年に公開したDWR10で「赤岩渡船」にゴールを置いたが、「島村渡船」の方が「赤岩渡船」より小型の船で「渡船」の雰囲気が強く残っている。 今回も渡船で渡った向こう岸にクイズを置きたかったが、2回の試走とも欠航中であった。 天候が悪い訳でもなく、川が氾濫している訳でもないのに欠航であった。クイズにしたかったが、もうしばらく欠航状態が続く様なので、皆さん参加された時にその理由を確認してみて下さい。 


 2CPは、先に紹介した、忠治が島村の大親分・島村伊三郎を謀殺した場所である米岡神社に置いた。 ここ米岡神社にも忠治に関する物は無かった。
2CP〜5CP  2CPから国道354号と県道を通り、伊勢崎市街に向かう。 渋滞などはないが信号も多いのでしばらくご辛抱を・・・。

 伊勢崎市街の少し西はずれにある、群馬県最古の鉄筋コンクリート造りの建造物である「旧時報鐘楼」の前を通り、忠治の墓のある『善應寺』に向かう。 

 忠治の愛妾おとくが、忠治が処刑された後、さらし者にされている間に死体を盗み出し、その腕を葬ったのが善應寺にある墓だと言われている。 墓に彫られた戒名は、「遊道花楽居士」。博打打ちらしい戒名である。

 県道68号で伊勢崎市街から出る。この県道、地図上で見ると約10km直線が続く道であるが、信号も多く、道の両側の視界も開けないため、その直線を感じない。

 4CPは、旧佐波郡東村の「あずまスタジアム」の北のはずれに置いた。 この辺りに忠治沼と呼ばれていた『磯沼』があった。 天保飢饉の際、賭博で稼いだ金で、浚渫したのが磯沼である。 金の出所は、決して褒められたものではないが、それを地元の人のために還元した事が、忠治にヒーロー的なイメージを持たせる所以であろう。

 この磯沼がある辺りは、「田部井」であるが、ここに忠治の賭場があった。忠治33歳の時にこの賭場が俗に言う「ガサ入れ」を受けた。そのタレコミをしたのがあの「勘助」である。 勘助の甥にあたる子分の浅太郎に、叔父の勘助の首をもってこいと命ずる。 芝居では、浅太郎は命令を実行し叔父の勘助の首を片手に抱え、親分忠治への義理と叔父への人情の板ばさみに泣きながら、勘助の子「勘太郎」を背負って赤城山に登っていく名場面。そして、あの東海林太郎の「赤城の子守唄」がバックに流れる・・・ が、伊勢崎・桂林寺にある「勘助」、「勘太郎」の墓に刻まれた没年は同じなのである・・・。

 4CPから少し走ると、旧佐波郡国定村に入る。忠治が生まれた地である。 5CPは、忠治のもう1つの墓がある『養寿寺』においた。ここはOQM23でもCPが置かれた場所である。 3CPの『善應寺』は忠治の腕が葬られていたが、ここ『養寿寺』には首が隠されていたと言われている。実際、大正元年に庫裏から頭蓋骨が発見され、当時の住職は、「あつかりし ものを返して 死出の旅」と言う辞世の句を残している事からも実話なのかも知れない・・・。 
 勝負事にご利益があるということで削り取られ丸くなっている忠治の墓は、2代目になっている。 同じ忠治の墓なのに3CPの善應寺にある墓は削られていなかった・・・。 何故だろう?
 ここにある「忠治遺品館」には、忠治の木像や道中合羽などが展示されているが、常時開館しているわけではなく、問い合わせる必要がある(入館料は200円)。

 忠治は、国定の名主長岡家に生まれた。 名主らしく養寿寺には、長岡家代々の立派な墓があり、その側に「長岡家のつたえ」と言う石碑が建っている。クイズにしたので、じっくり読み下して下さい。 善應寺の忠治の墓に掘られた戒名は「長岡院法誉花楽居士」。 長岡家にとって、忠治は「誉れ」だったのか・・・?
5CP〜7CP  5CPから赤城山を目指す。 途中国道50号線を渡る曲沢の交差点の右手に旭川ラーメンのお店がある。「かじべい」と言う店名らしい。「らしい」と言う言い方からして私は入った事が無い(笑)が、ここのラーメンは美味しい筈。 と言うのもこの場所、過去何度もお店が出来ては、半年程度で閉店を繰り返していた場所なのである。 意外と交差点のすぐ角で、一方向からしか入れないと言う場所は、車の出入りが難しく、ガソリンスタンドも廃業している店を見かける。 この「かじべい」は既に開店してから3年以上経過している。 この事からきっと美味いのだと思う。 DWRではグルメ情報が無いのが特徴(?)になっているが、味音痴の私がお勧めするお店より、多くの方が勧めるお店の方が間違いないと思う。 食べられた方、是非その味をご報告下さい(笑)

 コマ図18図先では、正面に赤城山を望みながら更に北上する。 途中から林道・大林線に入る。 実はこの道、DWR33で逆走しているが、その時はまだダートであった。 林道入口に6CPを置いた。 
 国道353号線を横切り、DWRで何度か使った林道で「おおさる山乃家」を目指す。今まではおおさる山乃家でUターンをしていたが、ようやくその先の林道が開通した。 コマ図25図左折後の林道名は、「不動大滝線」。そう、やっとその名の通り不動大滝まで通じた訳である。  不動大滝への入り口の駐車場前に7CPを置いた。

 不動大滝に至る遊歩道の途中に、忠治にまつわる場所がある。 ただ、遊歩道の入り口にある箱の中に置いてあるパンフレット『赤城南麓滝めぐりハイキングマップ』では不動大滝コースは、中級者向けとなっており、所要時間も約90分(往復で)となっているので、ここでのクイズはボーナスクイズとした。時間と皆さんの体力に合わせて、行ける所まで頑張ってみて下さい。
私がクイズの写真を撮りながら歩いた時間を参考に記しておきます。
また、2度目に歩いた際、出会った人たちの様子は、次の様な感じです(割と安易に行っている人が多いです(笑))
 一組目:4、5歳の男の子2人を連れた夫婦。奥さんはまだ1歳くらいの子どもを背負っていました。服装は割としっかりした格好でした。 滝まで行って来たそうです。
 二組目:若いカップル。 女の子はヒールの高いサンダル! 何処まで行ったのかは不明。
 三組目:若い男性のグループ。 6名中3名はサンダル履き。 滝まで行った様子。
  
 六組目:私と同年代くらいの夫婦とその息子らしき人。 ご主人は短パンにスニーカー。 奥さんはしっかりとクマよけの鈴をもっていました。

では、滝を目指して出発・・・
不動大滝への
道のり
(0:00) 入口に枝が杖代わりに置かれている。 是非1本持って行って下さい。全然楽です。 また、念のためクマよけのため鈴か何か音がするものを持って行って下さい。私は2回とも無防備に行きましたが。
すぐに分岐が出てくる。直進すると前不動尊。ここは右手に下る。


(0:06) 延命猿水・・・ボーナスクイズ1

                         
            



 (0:12) 忠治第一の見張岩



(0:17) 瀧み所
  木々の隙間から不動大滝が見えます(写真の上にカーソルを乗せてみて下さい)。


    (0:23) 滝沢不動尊・・・ボーナスクイズ2




(0:28) こんな橋(?)も渡ります。ここは左。 右に行くと忠治第二の見張岩




(0:33) 更にスリリングな個所も。 小さな子供も渡れたんだと思って渡って下さい(笑) 忠治の隠れ岩はもうすぐです。




(0:36) 忠治の隠れ岩・・・ボーナスクイズ3

実は1回目の試走は、家内と一緒でした(初めて)。 忠治の隠れ岩でのクイズは別のクイズを考えていたのですが、帰り道に家内が、『階段があったら無意識のうちに階段の数を数えている人が、何で階段の数を問題にしないの?』と。 で、2回目の試走時にも隠れ岩まで歩くことになりました・・・(^_^;)

隠れ岩の中は照明もなく(以前はあったが壊れている)、真っ暗なので懐中電灯がある方が良いです。 階段を下りて左手の奥に入って行くと、忠治と酒を交わしている子分の人形があった。 「あった」と書いたのは、今は誰かに壊され子分の手足がとれた状態で、忠治にもたれ掛かった状態に置かれている。真っ暗の中で見るのはチョット不気味な状態です・・・。 写真も撮りましたが、掲載は控えておきます。


ここまで来たら不動大滝はすぐそこです。 約5分で滝が見えて来ます。

帰りは、途中不動尊で用を足しましたが(不動尊にはトイレがあります)、大滝から遊歩道出口まで約28分でした。 往復81分(大滝に4分ほどいました)でした。
7CP〜ゴール  汗が引いたら、忠治最期の地に向かおう。 今いる地は赤城南麓。そして最後の地は榛名西麓。 かなり遠いが、なるべく最短距離で、流れの良い道で向かおう。 段々日が短くなるこの時期だから。

 7CPから8CPは、赤城第2南面(空っ風街道)、国道353号、県道34号をつなぐ。退屈しないように(笑)看板クイズを用意した。

 8CPから榛名東麓を登る。DWR39でも走った道で9CPに入る。この道、『盗人越』と呼ばれている。 忠治は盗人ではないが、罪人つながりで・・・(笑)

 9CPからは更に榛名方面に登る。 閉鎖された榛名カントリーの前から林道・上野原線を久しぶりに走る。2000年のDWR6以来である。 またこの道は逆走だが第79回PDQM(1991.12月号)『榛名山裏ルート 105Km』でコースに使われている。 森の中を通る気持ちいい道である。 伊香保スケートリンクの入り口に10CPを置いた。

 観光客で混み合う榛名富士のロープウエイ側を避けて、榛名湖の北岸に出る。 こちら側も夏の間はキャンプや釣りをする人が多く、路駐の車も多いので注意。

 榛名湖からは県道28号で一気に下る。 途中右手に旧道が分岐する。この道もDWR6、第79回PDQMでも使われていて、川沿いの道なのだが、今回は日暮れが気になるので新道をそのまま進む事にする。 旧道はまた別の機会に走りたい。

 DWR43のコースを少し走り、途中から大戸の村に降りる道に入る。 チョット変わった形のポスト(新聞受け)が各家の前にある村(手古丸)を抜け、大戸関所跡に出る。11CPを置いた。

 忠治26歳の時、義弟の仇を討つために信州に向かう際、ここ大戸の関所を破った。 関所破りは当時大罪で、忠治は大戸だけでなく碓井の関所も破っており、数回の関所破りの罪で追われていた。
 そして、その罪でここ大戸で磔の刑に処され、その一生を終える事になる。

 大戸関所跡のすぐ側に、忠治が好んだ銘酒「牡丹」の醸造に使われた井戸もある。(加部安左衛門の遺跡の中)

 忠治が磔にされた場所には、忠治地蔵が建てられている。 以前は観光バスも多数立ち寄り、観光客で賑わっていたらしいが、今はひっそりとし、訪れた2度とも誰もいなかった。

また、忠治にまつわる場所であるから仕方ないが、入口にある『国定忠治処刑場跡』の石碑をはじめ、多くのものを建之しているのが、「組」関係者ばかりというのも驚く。 その様なものをクイズにする気になれず、ゴール地点にはクイズは置かなかった。

 忠治にまつわる場所を巡って来たが、皆さんはどう感じられるだろう? 現代では芝居や映画などで紹介される事もなくなり、若い人はその名前すら知らない人も増えているのではないだろうか? 違った意味の「伝説」になりつつあるのかもしれない・・・。